axico’s diary

徒然に

旦那くんのこと Ⅰ

旦那くんが未破裂脳動脈瘤の手術を受けて、7年半。

 

見つかったのは2013年の1月頃。
2012年の暮れ頃に尿管結石になって、投薬治療をしていた。
その後、結石の状態を診るためにCT検査をした。
元々すい臓に嚢胞がある旦那くん。
腎臓にも嚢胞があった。
それを診た担当医が、
“腎嚢胞のある人は脳動脈瘤がある可能性が高い”
と判断して頭部CTを撮ってくれた。
「専門ではないけど画像を見る限りでは瘤がありそうだ」との判断で、そこの病院には脳神経外科がないので、専門医への紹介状を書いてくれた。

 

脳外のある大学病院へ行ったら、CT画像で見ると確かにあるけど詳しくはわからないとのことで、造影剤を投与してMRA検査。
その検査結果を後日聞きに行った。
それが2013年の4月。

 

結果、4~5㎜の動脈瘤があった。
未破裂脳動脈瘤を持っている人の年間の破裂率は1~1.5%程度みたいだけど、旦那くんはその時37歳。
あと40年生きるとして、生涯に直せば40%にもなる。
年配の人なら経過観察でもいいと思うけど、まだ若いからと、治療を勧められた。

 

動脈瘤の治療方法は2つ。
開頭して瘤の根元にクリップを挟んで血流を止めるクリッピング術か、カテーテルで瘤の中にプラチナのコイルを詰めるコイル塞栓術。

 

旦那くんは腎嚢胞があって未破裂脳動脈瘤を疑われて検査してもらった。
腎嚢胞がある場合、また瘤ができる可能性がある。
今回開頭でクリッピングした場合、次にもしできた時に癒着の危険性などもあるし、今回の瘤の場所から考えると、塞栓術の方が望ましいと。
そうなると、その大学病院ではできる医師がいないとのことで、また紹介状を持って、違う総合病院へ。
そこでまたいろいろと説明を受け、旦那くんの両親やあたしの両親にも相談して塞栓術をしてもらうことに決めた。

 

でも、この時に見つけてもらえたのはほんとにラッキーだった。
普通は脳ドックを受けないと見つからないし、破裂して見つかるとかだし。

そして7月に検査入院、8月3日から10日間入院した。

 

父のこと Ⅲ

「慢性骨髄単球性白血病

年配の男性に多いらしい。

 

はじめに「白血病」と聞いた時はテレビドラマなどでよく見る無菌室に入って抗がん剤治療をして、脱毛や吐き気などの副作用が強いイメージだった。
ただ、父は急性骨髄性白血病とは違うので、化学療法は1ヶ月に5日間の通院。
父は血小板が少ないので血が止まりにくく治りにくい。
だから小さい怪我もしないように、どこかにぶつけて内出血しないように気をつけてる。
そのために輸血も必要で、その他の週は週2の通院を繰り返していたけど、体調も体力も徐々に回復してきてる。
今は輸血もその時によってだし、通院回数もだいぶ減ったみたい。

 

白血病の治療はほぼ28日周期。
例えば化学療法を第1週に5日間、その後第2週〜4週は自宅療養。
それで1クール。
それの繰り返し。
多分、終わることはない。
今も4〜5週に一週通っている。
幸い、父には投与してもらっている抗がん剤が合っているらしく、副作用もないし普通に生活している。
同じ治療をされてる人の中では副作用がある人もいるみたいだし、そうすると父の性格上、やめると言い出しかねないからよかったのかも…

 

造血幹細胞移植の治療法もあるけれど、高齢男性が発症しやすいのであまり適用はされないらしいし、もしできるとしても、私は血が繋がっていないからドナーを探すのも大変だろうと思う。
父の病気がわかってから、色んなことを調べた。
わからないことが多いしね、今はスマホもあるし。

 

元々の糖尿病と腎臓に対しては、食事療法も必要だから母も大変そうだったし、まぁ今も食事制限はあるから大変そうだけど、そのおかげで数値は安定しているみたい。
でも抗がん剤は継続中。
命の綱。

一時は母と覚悟をしていたけど、もう6年3ヶ月。
病気ともうまく付き合えるようになってきたようで、よかった。

 

今はコロナのこともあって簡単には実家に帰れなかったり、父も母も買い物以外は出かけていないみたい。
親戚もとても仲良いし、従弟たちのところに去年たて続けに子供が産まれたから会いたいけど、それもなかなか難しい。
みんなの健康を祈って、会える日を楽しみにしていかないとね。

父のこと Ⅱ

どんな順序で検査をしていったのか、検査結果を聞いたのかは忘れてしまったけど、

倒れた原因はやはり「脳梗塞
おそらく血栓が小さくて一時的に詰まり、その後流れたんではないかと。
そして貧血の原因は「大腸がん」

そして「慢性骨髄単球性白血病

 

はじめに行ったかかりつけの病院では対応が難しいとのことで、転院。
脳梗塞は運良く流れたので、定期的にMRを撮るなどで対応。
大腸がんは実際は2ヶ月ぐらい前から下血があったりして自覚症状があったらしい…
祖母のことがあったから、多分黙っていたんだよね。
あとから親戚に聞いた話では、祖母の葬儀の時に元気がないと思ってたって。
母も思い返してみれば、ソファーでよく寝てしまうことがあったって。

 

今回、法事で見つかったのはとても運が良かった。
もし脳梗塞がこのタイミングで起きなかったら、また見逃してしまうところだったかもしれない。
・ふらついたのを見たこと
・様子を観察していたこと
・かかりつけの近くで食事をしていたこと
・旦那さんと従兄は二人とも180cmあり、父を運べたこと

 

もし家で同じようなことがあったとしても、その後血栓が流れて落ち着いたら、母だけではその判断はできたかもしれないけど、できなかった可能性の方が高かったかもしれない。
救急車を呼んで、2階からおろすのは結構大変だったんじゃないかとも思う。(実家のリビングは2階)

 

病気が複数あったことはよくないことだけど、運が良かった。

 

脳梗塞は酷いものではなくてすぐに流れた。
大腸がんは初期だったし、場所もそんなに悪くないところだった。
大腸がんは取ってしまえばほぼほぼ完治と言われるもの。
とりあえず5年経ったし、年一の検診になっている。

 

ただ、もう一つ、「慢性骨髄単球性白血病
白血病と聞いた時、目の前が真っ暗になった。

 

父のこと Ⅰ

私は実父の顔を知らない。
正確に言えば、覚えてない。
まだほんの小さい時に亡くなったから。
今いる父は、私が7歳の時に母と結婚した人。
だから7歳までは祖父母と母と暮らしてた。

 

共働きだったから、学校が終わると祖父母の家に帰って、そのあと3人の家に帰った。
父はちゃんと父になろうとしてくれて、実父のことを何も覚えていない私には「父」でしかない。
父の兄弟にも良くしてもらったし、祖父にも可愛がってもらった。
今でも父とは仲良し。

 

そんな父に病気が見つかったのは忘れもしない
2014年11月29日
私の誕生日の前日。
祖母の四十九日法要の日。

 

法要は内輪だけ。
父、母、私、旦那さん、大叔母、従兄、従姪の7人。
法要が終わって、納骨に向かう時に父はお骨を持ってた。
通路を歩いてた時によろけたり、何かおかしかった…
私は「体調悪そうだし、これで少し落ち着くから病院行ってね」と。
納骨が済んで、食事をする場所へ車で向かう。
なんとなく心配で、父の様子を見ながら食事。
そろそろデザート…という頃に父に異変。
なぜかちゃんと椅子に座れてない。
力が入ってない。
「大丈夫だよ」とは言うものの、何かおかしい。
そしてその日は土曜日。
救急車を呼ぼうとも考えたけど、意識もあるしお店に迷惑がかかると思って病院に連絡をしてタクシーで行くことに。
でも、父は足に力が入らなくて歩けない…
お店の個室から入り口まで旦那さんと従兄で両脇抱えて運ぶ。
そして父と母だけ先に病院へ。
大叔母や従兄、従姪を送ってから私と旦那さんで病院に向かった。

 

父は病院に着いた時には車椅子に自分で乗り、検査してもらいに行ったと…
待ち合いに喪服姿3人いるのはなんだかおかしかったけどね。
程なくして看護師さんと先生が来て説明してくれた。
「どこも怪我をしていないのに、貧血が酷いです」

脳梗塞の疑いがあるけど極度の貧血があるので、おそらく何処からか出血があるはずだと。
脳梗塞の症状は今はないし、極端なことを言うと脳梗塞は命の危険はそんなにないけど出血は命に関わる。
なので、出血を止める点滴をしますと。


父は私たちには言ってなかったけど、疲れやすかったり、たまに下血があったらしいけど、そんなに極度の貧血になるのはおかしいってことで、とりあえず検査入院をすることになった。
父に会いに行くとケロっとしてる。
3人で待っている時は脳梗塞を疑ってたけど、麻痺もないししっかり受け答えもする。
心配だけど何もできないので、ただただお願いしますと伝えて、母を家に送り届けて、3人で少し話をして家に帰ってきた。

 

うちの猫

今日猫の日なので、猫たちのことを。

 

今は5匹。

みるく ♂ 14歳

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ゆき ♀ 5歳

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しょう ♂ 3歳

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さつき ♀ 3歳

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えな ♀ 3歳

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今はいない子が、めぐみ ♀

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めぐみさんは結婚する前に旦那さんが保護した子。

その時はもう成猫だったから、歳はわからない。

真っ白の長毛の、オッドアイの美人さん。

 

みるくさんは結婚して今の家に越してきて、1年半ぐらい経った頃にうちの向かい側の会社の敷地内で泣いてた。

生後1ヶ月ぐらい。

ノミとシラミだらけのちっこい子。

 

2014年10月にめぐみさんが亡くなった。

 

1年経った頃、そろそろもう一匹…と思って譲渡会に行ってソマリの成猫をトライアル。

みるくさんが全然ダメで、泣く泣く返した。

そして2015年12月、保護動物サイトからみつけたゆきちゃん。

生後3ヶ月ぐらい。

お見合いや面接を経て、うちの子に。

 

2017年初夏、バイトしていたパン屋さんのお客さんが保護ボランティアをしている話を聞いた。

写真見せてもらったりしているうちに、見に行くことになり…

帰りにはしょうとさつきをキャリーケースに入れてた…

 

2017年冬…

しょうとさつきを紹介してくれたボラさんが、「めぐみちゃんとそっくりな子が来たよ」と…

迷わず会いに行って、連れて帰る…

 

猫たちとの出会いはこんな感じです。

それぞれとの詳しい話はまたそのうちに。

 

ブログは自分の備忘録も兼ねて、いろいろごちゃ混ぜでもいいかなぁと思って適当に書いていきます。笑